1 00:00:00,000 --> 00:00:12,000 私たちの住む長野県遠見市、豊かな流れを称える竹間川と、 2 00:00:13,000 --> 00:00:20,000 雄大な山々に囲まれた自然豊かなこの町で、毎日充実した学校生活を送っています。 3 00:00:20,000 --> 00:00:31,000 私たちは、学校の近くにある旧北国街道の宿場町である文野塾を特集しようと取材に行きました。 4 00:00:32,000 --> 00:00:41,000 そこで浮かんだ一つの疑問をきっかけに、予期せずして忘れられようとしている郷土の悲しい歴史に出会ったのです。 5 00:00:50,000 --> 00:01:00,000 文野塾は北国街道の宿場の一つとして江戸時代に栄えた宿場町で、古い町並みを今に残しています。 6 00:01:01,000 --> 00:01:10,000 この文野塾はすぐ隣の田中宿と共に、遠見市発展の中心的役割を担ってきました。 7 00:01:11,000 --> 00:01:19,000 文野塾が栄えた背景には、江戸から前甲寺にお参りに行く人々の通り道であったこと、 8 00:01:20,000 --> 00:01:24,000 江戸と佐渡金山との中間地点にあったこと、 9 00:01:25,000 --> 00:01:29,000 加賀の前田市をはじめとする北陸地方の大名たちが、 10 00:01:30,000 --> 00:01:34,000 三近交代で利用する宿場町であったことが挙げられます。 11 00:01:35,000 --> 00:01:40,000 取材を進めているうちに、私たちに一つの疑問が浮かびました。 12 00:01:41,000 --> 00:01:51,000 文野塾の中央を通る道がまっすぐ続いてきているのに、通りの外れで大きく左にカーブしているのです。 13 00:01:52,000 --> 00:01:56,000 まるで途中で道がなくなってしまったかのように。 14 00:01:57,000 --> 00:02:00,000 わざわざこんな作りにするでしょうか。 15 00:02:00,000 --> 00:02:03,000 昔の文野塾の地図を見つけました。 16 00:02:05,000 --> 00:02:09,000 やはり昔は道はまっすぐ続いていたのです。 17 00:02:12,000 --> 00:02:20,000 文献調査の結果、江戸時代中期の1742年、官邦2年という年に行き当たりました。 18 00:02:21,000 --> 00:02:27,000 この年に私たちの町を大きく変える大水害があったことがわかったのです。 19 00:02:27,000 --> 00:02:33,000 私たちの中学校の、京都市に詳しい社会科の先生にお話を伺いました。 20 00:02:36,000 --> 00:02:47,000 そうですね。これは大変な大きな洪水でしたので、この辺の古文書にはほとんどすべて記録があります。 21 00:02:47,000 --> 00:02:53,000 7月27日から降り出した激しい雨は、数日間にわたり降り続きました。 22 00:02:56,000 --> 00:03:02,000 特に被害が大きかったのは、ちくま川に流れ込む支流の所沢川流域。 23 00:03:05,000 --> 00:03:11,000 雨が降り出して数日後の8月1日、所沢川上流で、 24 00:03:11,000 --> 00:03:15,000 山崩れが発生、所沢川の流れをせき止めました。 25 00:03:16,000 --> 00:03:24,000 降り続いた雨に、せき止められた流れと大量の土砂が、大きな土石流となって、下流の村々を襲ったのです。 26 00:03:26,000 --> 00:03:34,000 土石流はまず、旧金井村集落を直撃、さらに現在の私たちが通う東武中学校の付近を抜き、 27 00:03:34,000 --> 00:03:37,000 その下流にあった田中宿を飲み込んだのです。 28 00:03:38,000 --> 00:03:43,000 多くの尊い人命を奪い、土石流はちくま川に流れ込みました。 29 00:03:46,000 --> 00:03:50,000 私たちの学校の周辺の南北に走る雑木林。 30 00:03:51,000 --> 00:03:56,000 調べていくとこの林は、土石流が流れた後だということがわかったのです。 31 00:03:56,000 --> 00:03:59,000 土石流が流れてきたその影響を受けたちくま川が、 32 00:04:00,000 --> 00:04:05,000 さらに暴れて今の鵜住の白鳥神社の方を削り取ったという、そういう風に考えていけば。 33 00:04:07,000 --> 00:04:12,000 社会科の先生に紹介してもらった、土石流のことを今に伝える史跡を巡ってみました。 34 00:04:13,000 --> 00:04:21,000 これは、派の中において、僕たちは、同じ会社で働いている、同じ生き物であると考えたものです。 35 00:04:21,000 --> 00:04:24,000 土石流のことを今に伝える史跡を巡ってみました。 36 00:04:25,000 --> 00:04:27,000 これは、発見石と呼ばれる岩です。 37 00:04:28,000 --> 00:04:31,000 漢方二年の土石流で上流の方から流されてきました。 38 00:04:32,000 --> 00:04:36,000 とても大きな岩です。土石流の恐ろしさを感じさせられます。 39 00:04:39,000 --> 00:04:44,000 発見石のすぐ隣には、土石流を引き起こした諸沢川があります。 40 00:04:45,000 --> 00:04:50,000 ここは、漢方二年の土石流で大きな被害を受けた田中区にある薬師堂です。 41 00:04:52,000 --> 00:04:57,000 ここには、土石流で亡くなった方々を遺霊するための石碑がいくつか建てられています。 42 00:04:58,000 --> 00:05:01,000 これは、平成3年に建てられたものです。 43 00:05:10,000 --> 00:05:16,000 現在は芝生公園となっている場所に、カナイ村の跡という石碑を見つけました。 44 00:05:16,000 --> 00:05:21,000 現在のカナイ区の区長さんにお話を伺いました。 45 00:05:46,000 --> 00:06:06,000 土石流前、カナイ村のあった場所は、芝生公園、社会体育館、テニスコートなど市の公共施設になっています。 46 00:06:08,000 --> 00:06:14,000 芝生公園を取材していると、公園の横に古い墓地を見つけました。 47 00:06:16,000 --> 00:06:24,000 墓石は、漢方2年より古いものばかりで、現在はお参りする人のいない、無縁ぼとけになっているようです。 48 00:06:25,000 --> 00:06:32,000 ここは、旧カナイ村の墓地で、奇跡的に土石流の直撃を免れたと考えられます。 49 00:06:38,000 --> 00:06:43,000 このお地蔵さんは、土石流の1年前に建てられたものです。 50 00:06:43,000 --> 00:06:50,000 恐ろしい土石流の様子を目の当たりにし、その後の復興を見守ってきたのでしょう。 51 00:06:55,000 --> 00:06:59,000 土石流跡にできた雑木林を取材しました。 52 00:07:00,000 --> 00:07:05,000 ご覧のとおり、土石流で押し流された石がゴロゴロしています。 53 00:07:06,000 --> 00:07:11,000 この石によって、この土地は長い間流をできずにいました。 54 00:07:11,000 --> 00:07:16,000 市の公共施設が建てられるようになったのは、最近のことです。 55 00:07:19,000 --> 00:07:25,000 ふと、市の社会体育館の石垣を見ると、これまでは木にも止めませんでしたが、 56 00:07:26,000 --> 00:07:30,000 数多くの大きな石でできていることに気がつきました。 57 00:07:32,000 --> 00:07:38,000 ひょっとして、これらの石は土石流によって運ばれてきた石なのでしょうか。 58 00:07:38,000 --> 00:07:46,000 大地体育館や芝生公園にある石は、その時の土石流のものをそのまま使ったということですね。 59 00:07:47,000 --> 00:08:01,000 当然、やるには、自然石を利用したものは非常に環境的にも良いと、環境に配慮できるということの中で、そのままの石を利用したということでございます。 60 00:08:01,000 --> 00:08:06,000 大きな石がたくさんあったので、工事はとても大変だったそうです。 61 00:08:12,000 --> 00:08:16,000 東武中学校にも、その当時の写真が残っていました。 62 00:08:32,000 --> 00:08:42,000 私たちが学校生活を送っている東武中学校も、部活動で利用している社会体育館やテニスコートも、 63 00:08:43,000 --> 00:08:47,000 たくさんの犠牲者を出した土石流の跡に立っていることがわかりました。 64 00:08:48,000 --> 00:08:55,000 しかし、私たち中学生の多くは、漢方二年の大水害のことを知りません。 65 00:08:56,000 --> 00:09:03,000 今年、長野県では豪雨による大きな被害が発生しました。 66 00:09:07,000 --> 00:09:12,000 この地に暮らす者として、この東武の将来を担う者として、 67 00:09:13,000 --> 00:09:21,000 私たち中学生こそが、郷土の歴史に学び、防災の意識を高めていく必要があるのではないでしょうか。 68 00:09:22,000 --> 00:09:25,000 二度とあの悲劇を繰り返してはいけない。 69 00:09:26,000 --> 00:09:37,000 雲之塾の曲がった道、薬師堂や慰霊碑、そしてあのお地蔵さんが、私たちに訴えかけているような気がします。